国際生活分類では、「障がい」とは個人に属するものではなく、

社会との間で生じるものと考えられます。

そのように考えると「障がい」は誰にでもあり、

また何が「障がい」になるかは社会の在り方によって変わってくると言えます。

 

障がいのある人に「今の社会」を受け入れるように押し付けるのではなく、

社会全体が障がいを受け入れる態勢を整えることが重要です。

 

自分の身辺を自分でやることが大事なのではなく、

人に手伝ってもらってやるのか自分でやるのかを自分で決めてやることが大事です。

 

例えば、皆さんも出先で外食をすることがありますよね?

 

それは皆さん自身が、自分のご飯を自分で作る代わりに、

飲食店というサービスを利用することで、ご飯を作ってもらうという自己選択をしている訳です。

 

障がいのある人も同じで、

介護というサービスを利用することを自分で選択することに意味があるという訳です。

 

しかし、ここで重要なことは、

誰もが必要な手助けを十分に受けられる社会であることです。

 

 

想像してください。

 

 

車いすに乗っている方が1人でお出かけをするとします。

そこで電車に乗るために切符を買うときに、

財布を車いすの背もたれのポケットに入れてしまい、自分で取り出せなくて困っています。

 

 

そのときに、あなたには、

「財布、お取りしましょうか?」と一声かけられる人であることが必要なのです。

 

一部始終をみることで、

気づいて、「何も言わずに財布を取り出す」と考える人もいるかもしれません。

 

しかし、尊重すべきなのは、やはり「自分で選択」することなのです。

障がいのある方自身に、

「財布をあなたに取ってもらう」のか「自分で頑張って取る」のかを選べる声かけをするのがべストです。

 

こうした一声をかけられる社会、

思いやりのある社会であることが誰もが暮らしやすい社会ではないかと思います。